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東京地方裁判所 昭和36年(ワ)3045号 判決 1963年4月26日

判   決

東京都大田区池上本町二四四番地

原告

朴魯錫

右訴訟代理人弁護士

島田正純

東京都大田区大森四丁目一七一番地

被告

鈴木善七

横浜市磯子区笹堀字古泉五一五番地大塚方

被告

小田部岩男

右両名訴訟代理人弁護士

福田覚太郎

中直二郎

右当事者間の損害賠償請求訴訟事件について、当裁判所は、つぎのとおり判決する。

主文

1、被告らは各自、原告に対し、金六〇万円及びこれに対する昭和三七年七月二八日以降支払ずみに至るまでの年五分の割合による金員を支払え。

2、原告のその余の請求を棄却する。

3、訴訟費用は、これを三分し、その二を原告の負担とし、その余を被告らの連帯負担とする。

4、この判決は、第一項に限り、仮りに執行することができる。

事実

原告訴訟代理人は、「被告らは各自、原告に対し金一、九二七、七二四円及びこれに対する昭和三七年七月二八日から完済に至るまでの年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は、被告らの負担とする。」との判決並びに仮執行の宣言を求め、(以下省略)

理由

一、昭和三三年八月九日午後二時二〇分ころ、大田区馬込町東二丁目一、一六四番地先道路上において、自転車に乗つた原告と被告小田部運転の被告車とが接触したことに当事者間に争いがない。そして、(証拠―省略)を総合すると、原告が右接触事故によつて左上膊骨顆上骨折、左下腿及び胸部挫創等の傷害を受け直ちに大田区池上徳持町八二番地の四財団育仁会島田病院に入院したが、その後上膊筋炎を併発し、また左上膊骨上顆の未端骨片が後方に転位したうえ該部が化膿したりしたため、昭和三四年一〇月一五日大田区大森五丁目東邦大学病院に転院したころには、すでに右の骨折部分の骨片が欠損し、左肘関節は動揺関節になつていたこと、現在、同病院において左肘関節部に皮膚を移植し、同所に尺骨神経を移す手術の準備段階であり、左腕は使用不能の状況にあることが認められ、右認定に反する証拠はない。

二  (証拠―省略)を総合すると、本件事故が発生した前示の場所は北方の第二京浜国道方面から南方の大森春日橋方面に通ずる幅員一六、五米の道路の東側の車道(右道路はその中央に幅四、五米の安全地帯があつて、東西共幅員各六米の車道に画されている。)上であつて現場付近はアスフアルトで舗装された平坦な一直線の道路であること、被告小田部は、被告車を運転して、時速約三〇粁の速度で北方から南方に向つて進行し、右の現場にさしかかつた際、その進行方向右前方の安全地帯の切れ目から自転車に乗つた原告が被告車の進路上に右折したのをその手前約一四米の位置で発見したのであるが、原告がその儘右側の安全地帯寄りに進行するものと判断し、僅かに減速した程度で原告の左側方を通過しようとした瞬間、被告車の右前部を原告の左肘に接触させ、原告はそのため路上に転倒したものであることが認められる。この認定に反する原告本人の供述部分は、前示各証拠に照して措信しがたく、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

およそ右のような場所において、自車の右前方を進行中の自転車を追抜こうとする場合には、自動車運転者としては、自転車はその側方を自動車が通過することによつて安定性を失い易いことに留意し、警笛を鳴らして警告を与え、自転車を道路の側端に避譲させたうえ、いつでも停車できる程度に減速し、しかも自転車との左右の間隔を十分に保つて慎重に通過すべき義務があるところ、被告小田部はこれを怠り、警笛も鳴らさず徐行もしないで、しかも原告の自転車との間に安全な間隔も保持しない儘漫然とその左側を追抜こうとしたため、前示のような接触事故を惹き起したものであるから、本件事故は、同被告の過失に基因することは明らかであるから、本件事故は、同被告の過失に基因することは明らかである。

被告らは、本件事故は、原告が酒に酔つていたためか自転車の操作を誤り、自ら被告車に接触したものである旨主張する。そして(証拠―省略)中には、当時原告が飲酒していたものと認められるような部分があるけれども、これらは、(中略)措信しがたい。また、成立に争いのない甲第三号証には、原告の「右折不注意(直前横断)」との記載部分があるが、原告が被告車の直前を横断しようとしたために前示のような接触事故が発生したとは認めがたい。蓋し、原告が被告車の直前を横断しようとしたために接触したのであるならば、接触によつて直接左肘を負傷した(この傷が直達外傷であることは、証人(省略)の証言によつて明白である。)原告の乗用していた自転車にも何らかの損傷を生ずるのが通常であると考えられるところ、被告小田部本人の供述によると、右自転車には全然損傷がなかつたことが認められるからである。更に、原告が前示のように安全地帯の切れ目から被告車の進路の右前方で右折し、右側の安全地帯寄りに進行したことは、後記認定のように原告の一過失ではあるけれども、それは過失相殺の一事由に過ぎず、このことから直ちに本件事故が原告の過失によつて惹起されたものと認めることはできないのであつて、他に被告らの右主張を認めるに足りる証拠はない。

三、被告鈴木が被告車を所有し、かつ、これを使用していたことは当事者間に争いがない。そして、(証拠―省略)を総合すると、被告小田部は、被告鈴木の義弟(妻の弟)であるが、鈴木方において被告車を運転して同被告の味噌醤油販売業を手伝つていた者であり、本件事故の当日は、被告車を運転して得意先を廻り、味噌の空樽を七本回収して鈴木方に帰る途中本件事故を惹き起したものであることが認められる。右認定に反する被告鈴木本人の供述部分は、前顕の各証拠に照して措信しがたく、また、被告小田部が同日自己の私用で川崎方面に出掛けたことは、それが右得意先廻りの前後にかかわりなく右の認定に何らの消長をきたすものではない。

してみると、被告鈴木は、自賠法第三条の規定にいわゆる自己のため被告車を運行の用に供する者というべきであるから、その抗弁が理由ありとされない限り、被告小田部と連帯して本件事故の発生によつて原告が蒙つた損害を賠償すべき責を免れることはできない。

四、そこで、被告らが主張する示談成立の抗弁について判断する。

その成立について争いのない甲第八号証の二の記載中には、原告と被告小田部との間において昭和三三年一一月五日に示談が成立した旨の部分があり、証人川島菊次郎の証言によると、乙第一、二号証の各「示談書」と題する書面中の原告の各署名は、訴外川島菊次郎が記入したものであり、その名下の「朴」の印影も同訴外人が他から買い求めた「三文判」を押捺して作出したものであることが認められるので、まず、同訴外人が原告を代理して被告らと和解契約を締結する権限を有したかどうかについて判断しなければならない。

(証拠―省略)を総合すると、訴外川島は、本件事故発生当時日雇労務者で組織する労働組合の大森分会における生活対策部長代理をしていたものであるが、昭和三三年八月一二日前示島田病院において、被告鈴木が原告に交付した金三、〇〇〇円の「お見舞金」を入れたのし袋に、「朴魯錫代理川島」と記載してこれを同被告に交付したこと、その後原告の委任を受けて原告のため社会保険金の受給手続をし、また、同年一〇月ころまでの間は、原告のため右病院における病室代、ふとん代及び付添看護人の費用等の各支払をしていたことが認められるので、その範囲においては原告の代理権を有したものと推認することができる(被告ら各本人が供述するように、当時原告が被告らに対し、川島に一切委した旨表示したとしても、それは、右の範囲を出る趣旨とは解されない。なお、この点については、民法第一〇三条の規定を参照。)こと、同訴外人は、本件に関し、後記認定のように被告鈴木から交付された金員を自己の用途に費消して横領罪に問われ、懲役刑に服したことが認められるけれども、これらの事実をもつては、未だ同訴外人が原告を代理して被告らとの間で本件事故につき和解契約を締結する権限を原告から付与されていたものと認めることができない。(蓋し、横領罪は、自己の占有する他人の物を横領することによつて成立することはいうまでもないが、その「他人」が原告であるとされた形跡のない本件においては、同訴外人が横領罪に問われたことは右の代理権を推認させる徴表たりえないのである。)更に、被告らの供述中には、川島が前示の「示談書」を作成するところ原告の委任状を持参してきた旨の部分があるが(川島証人は、この事実を否定する。)、仮りに、それが真実であつたとしても、その成立の真正及び委任事項について何らの立証のない本件においては、これをもつて川島の前示和解契約締結の代理権を認めるべき証拠とすることができない。なお、前示甲第一八号証の記載及び証人川島菊次郎の証言中には、前示「示談書」の原稿を予め原告に読み聞かせたとか、右示談の代理権をも付与されていた趣旨にもとれる部分があるけれども、いずれも措信できず、他に川島の前示和解契約の代理権を認めるに足りる証拠はない。

以上の事実と、(証拠―省略)とを併せ聞えると、前示の各「示談書」は、いずれも訴外川島が無権限で原告の名において作成したものと認められるから、原告の作成部分についてはいずれも真正に成立したものということはできない。そして、他に、原告本人と被告らとの間において直接和解が成立していると認めるべき何らの証拠はないし、川島が原告の代理人として被告らとの間で和解したと認めるべき証拠もないから、被告らの前示示談成立の抗弁は、これを認めることができないのである。

五  1、(一) (証拠―省略)によると、原告は本件事故発生当時、日雇労務者として失業対策事業の仕事に従事し、月額金九、八二五円の収入をえていた他、同僚の散髪をしてやることによつて多少の収入をえていたことが認められるので、その合計額は少くとも原告が生活費を控除した金額として主張する一ケ月金一万円を下らないものと認められ、この認定に反する証拠はない、してみると、原告は、本件事故に遭遇しなかつたならば、昭和三三年八月九日から昭和三六年四月八日までの三二ケ月間に、少くとも金三二万円の収入をえることができた筈であるから、原告は、本件事故の発生によつてこれを喪失し、もつて同額の損害を蒙つたものといわなければならない。

(二) (証拠―省略)及び弁論の全趣旨を総合すると、原告は、明治三五年一〇月三〇日生れであるから、昭和三六年四月九日当時満五八才であり、本件事故に遭遇しなかつたならば、少くとも原告が主張するように右の日から将来五年間(昭和四一年四月八日)までは前示の労働に従事できたものと認められ、この認定に反する証拠はない。しかるに、原告は、前示のように未だ入院加療中であるうえ、仮りに近い将来退院したとしても左腕が前示のような状況にある以上、従前の労働に従事することは不可能であると認めざるをえない。してみると、原告の一ケ月の収入が前示のように金一万円とし、右五ケ年間の得べかりし利益をホフマン式計算法(中間利息は、民事法定利率年五分の割合による。)によつて算出すると、その金額は金四八万円になるから、原告は、本件事故の発生によつてこれを喪失し、もつて、同額の損害を蒙つたものといわなければならない。

2、原告が本件事故の発生によつて前示のような傷害を受け、前示のような経過によつて今なお入院加療中であることはすでに認定したとおりであり、(証拠―省略)を総合すると、原告は朝鮮に帰国させた家族の生死も不明であり、唯一人日本にあつて、生活保護法による医療扶助によつてさびしい入院生活を送つていることが認められ、この認定に反する証拠はない。

右の事実と本件事故の態様、当事者の各年令、職業、収入、その他諸般の事情を斟酌して考えると、原告が本件事故によつて蒙つた精神的苦痛に対する慰藉料額は、原告主張の金三〇万円を下るものではない。

3、原告は、右の他、医療費として合計金八三一、七二四円の損害を蒙つた旨主張する。しかしながら、(証拠―省略)を総合すると、原告は、昭和三三年八月九日から翌三四年八月七日までの間は、日雇労働者健康保険法による療養給付を受け、その後は引き続き生活保護法による医療扶助によつて入院加療を続けているものであつて、原告がその費用を支出したものではないことが認められ、この認定に反する証拠はない。してみると、右医療費中、健康保険の給付によつた分については、すでに原告の被告らに対する損害賠償請求権は消滅しているものと解されるし(日雇労働者健康保険法第二五条第一項参照)、生活保護法の医療扶助によつた分については、原告の損害としては不発生であるか又は、少くともすでに消滅していると解されるので、原告の右の請求部分は失当である。

原告は、更に、入院中の諸雑費を支出したことによつて、合計金九六、〇〇〇円の損害を蒙つた旨主張し、原告本人の供述中には、日雇の手伝人の日当及びふとんの借賃等として一ケ月金一三、〇〇〇円以上の雑費を要し、入院前原告が保有していた金二〇万円の預金も費消した旨の部分もあるけれども、右は(証拠―省略)の各証言に照して措信できず、他に原告の右主張を認めるに足りる証拠はないから、この部分の請求もまた失当である。

六  1、本件事故の発生した現場付近の通路は、前示のように中央に設けられた安全地帯によつて幅員一六、五米の車道が東西各六米の車道に画されているし、原告は、この安全地帯の切れ目の南側寄りからいわゆる小曲りで右折して被告車の進路に進出し、右一六、五米の全体として車道からみればその左側部分ではあるが、東側の六米の車道部分からみればその最右側を進行したものである。およそ、かような場合自転車の運転者としては、東側の車道に入る前安全地帯の切れ目の北側寄りの位置で一時停止し、左右の安全を確認したうえ東側の車道を一たん直角に横断(いわゆる、右大曲り)したうえ、その左側を進行すべき義務がある(旧道路交通取締法第一四条第四項、同施行令第一一条第二項参照)。ところが、原告は、右の義務を怠り、前示のように漫然と右折してその儘進行したため、その左肘に被告車の右前部が接触するに至つたのであるから、本件事故発生は原告の過失もまたその一因となつているものといわなければならない。

2、(証拠―省略)及び弁論の全趣旨を総合すると、本件事故によつて原告が受けた傷害なかんづく左上膊骨顆上骨折は通常ならば、約五ケ月程度の入院加療によつて治癒するものであるところ、原告は、前示島田病院に入院中、医師及び付添看護人の指示や注意に従わず、勝手に包帯やガーゼを外したりしたこと、原告の右骨折部分の未端骨片が前示のように後方に転位したり、上膊筋炎を併発し更には該部位が化膿して骨片が欠損して現在のように動揺関節になつたのも、原告の右のような療養態度がその大きな原因となつているものと推認できるのであつて、右認定を左右すべき証拠はない。してみると、原告は、右入院中、患者として医師並びに付添看護人の指示や注意を遵守すべき義務を怠つた点に過失があり、この過失が前示認定の原告の損害を発生、拡大させたものといわなければならない。

3、原告は、本件事政の発生によつて、財産的損害として合計金八〇万円、精神的損害として金三〇万円の損害を蒙つたことは前示のとおりであるが、被告らの賠償額を定めるについては原告の右1及び2記載の過失を斟酌し、被告ら各自に損害賠償の責を負わせる範囲は、右財産的損害について金四〇万円、精神的損害について金二〇万円合計金六〇万円をもつて相当とする。

七  被告らは、原告の入院中の氷代、ふとん代、室代、付添看護人の費用及び原告の生活費として合計金一六三、三八五円を原告に支払つているから、これを損害額に対する内入金として控除すべきであると抗争し、(証拠―省略)を総合すると、訴外川島が被告鈴木から右の趣旨で十数回にわたつて合計金一〇五、〇〇〇円余の金員を受領したこと、しかし、同訴外人は、内金の一部を病院のふとん代、室代及び付添看護人に対する支払等に充てたのみで、残余は全部自ら費消し、原告には全然渡されていないことが認められ、右認定に反する証拠はない。しかも、他方、本件の全証拠をもつてしても、同訴外人が被告鈴木ら原告の生活費を受領すべき代理権があつたと認めることはできないから、右の金員中同訴外人が原告の生活費名儀で受領した分については、これを原告の前示財産的損害の内入金と認めることはできないし、その余の分については、仮りに同訴外人にその金員を受領する原告の代理権があつて、同訴外人に対する支払いが原告に対する支払いとしての効果を生じたとしても、右は原告が本訴において主張する損害とは別異の分であるから、結局被告らの右主張も理由があるとはいえないのである。

八  そこで、原告らに対し、前示損害合計金六〇万円と、これに対す昭和三七年七月二五日付準備書面が被告らに到達した日の翌日であること記録上明らかな同月二八日から支払ずみに至るまでの民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払を求める部分についての原告の本訴請求は正当であるが、その余は失当として棄却すべきものであるから、訴訟費用について民事訴訟法第九二条本文、第九三条第一項但書、仮執行の宣言について同法第一九六条の各規定を適用して主文のとおり判決する。

東京地方裁判所民事第二七部

裁判官 羽 石   大

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